糖尿人のお正月
今年のお正月は雑煮が食べられなかった。
正確に言うと、お餅が二個しか食べられなかった。 血糖値があがってしまうからである。
去年、糖尿人になり、5月から炭水化物を取らない糖質制限を知り、自ら実践してみて血糖値は安定していたのだが、
正月に大好きなお餅がどうしても食べたくて、血糖値を抑えるというお茶と、サプリをわざわざ通販で購入していた。
元旦の朝、通常の二倍のお茶とサプリを摂取し、普段は禁断の、
魅惑的な真っ白い炭水化物のかたまり(炭水化物は糖質なので血糖値を上げる)を二個、久しぶりに堪能した。
しかし、お楽しみはここまでで、一時間半後、やはり通販で購入した血糖値測定器で指先から血液を採取、
測ってみると、なんと250mg/dl!(正常値は140未満) お茶とサプリが多少なりとも効いていたとすれば
、飲まなかったら300mg/dlくらいにはなっていたのかもしれない。
180mg/dlを超えると血管を傷つけ始めるというので、その日、おそらく単なる結膜炎であろう、
目の充血もなんだか恐ろしくなってきて、きっぱりお餅はあきらめた。
翌日、お餅の代わりに、高野豆腐、糖質0麺、焼き豆腐、といろいろ雑煮に入れてみたけど、
どれもやっぱ違う食べ物って感じでNG。
救いは糖質0の日本酒で作ったお屠蘇。
こいつを底の浅い、金色の小さい杯に、漆塗り風の取っ手のついた酒器からとくとくと流し入れ、
こぼれないようにそっと口元に運ぶ。
糖のはいっていない辛目のお屠蘇を、我が家特製のピーナッツを和えた大根とにんじんのナマスをつまみに、
朝から舐めるように味わいながら、糖質0日本酒を発明していただいた方に感謝。
これでようやく、何とか正月気分を味わえた。
でも、お米からできてるはずの日本酒で糖質オフができるのなら、次は、誰か糖質フリーのお餅、発明してくれ~!
2015/1
クリスマスイブ
「明日も早いからそろそろ切り上げるか」
僕は残りのビールを未練がましく飲み干すと、外していたベルトを苦労して締め直した。
尻のポケットから薄っぺらな財布を面倒くさそうに取り出しながら、チラッと後ろを振り返ったのは、
さっきから背中で騒いでいる草野球帰りのオジサン連中がうるさかったからだ。
カウンターの中でトナカイの角を着けながら汗だくで焼き鳥を焼いている、まだ二十歳ソコソコの青年に、
お勘定と言いながら、心の中で「メリークリスマス」とつぶやくと、僕は店の戸をカラカラと閉める。
残りの人生を数え始めたのはいつ頃からだっただろう…..
クリスマスソングの流れる古い商店街でマフラーを巻き直しながら、ふとそんなことを考えてしまった夜。
MERRY CHRISTMAS!
2013/12/24
あゆみののろいもの
僕は早く歩くのが嫌いだ。焦って歩くのがいやだから、用事がある時はかなり余裕を持って家を出る。
ぼんやりと考え事をしながら時々風景や道端の植物などを見てゆっくりと歩を進めるのだが、平日の朝は、僕のまわりをたくさんの人が同じ方向へ早足で一生懸命に歩いていく。
皆駅を目指しているのだ。
次から次へと自分を追い抜いて行く通勤、通学の人たちの遠ざかる背中を見ながら僕は、
「みんな時間がないんだな、もっと早く起きて、余裕を持って家を出ればいいのに」
と、上から目線で常々考えていた。ところが、最近かかりつけの医者に、糖尿病を発症していると宣告されてしまい、事情が変わった。
運動しなさいと言われ、ほとんど何もスポーツをしない僕は、せめて歩くのを早くしてみようと思ったのである。
しかし、早く歩いてみて驚いた。自分ではがんばって早足で歩いているつもりでも、今までと同じように次々と後ろから追い抜かされてしまうのである。
ひどい時は年配のご婦人までが追い抜いて行く。
今まで自分は、時間に追われて早く歩く人たちを憐れみ、優越感に浸っていたのだが、それは大きな思い違いで、実は単に自分の運動能力が劣っているだけではないかと疑い始めた。
そう、周りの人たちは別に、焦って早く歩いているわけじゃない、自分が異常に遅いのだと、気付いてしまったのだ。
実際周りの人たちと同じ速度で歩くのは、僕にとって、競歩をしているようなもので、すぐに息が上がる。やはり体力がかなり落ちている。
運動代わりの早歩きを試す前は、駅でもエスカレーターは使わず、階段を二段跳びでもしてやろうかともくろんでいたのだが、実際やってみるとそんな余裕は全くない。
考え事をする余裕も、風景も植物も眺める余裕もなくようやく駅に着くと、僕は脇目も振らず目の前のエスカレタ―に乗った。そして自分の右側を、なおも自分の足で次々上って行く人々を、僕は手すりに寄りかかりながらぐったりと眺めていた。
すると、僕の数メートル先でエスカレーターを降りた30代くらいの女性が立ち止まり携帯を耳にあてた。
真剣な顔つきだ。
すぐ後ろを歩いていたサラリーマン風の男性が、急に立ち止まった女性に行く手を阻まれ、「何やってんだよ」と、すごい形相をして彼女を睨みつけながら横をすり抜けていく。
確かにその女性は脇に移動してから携帯を取ればよかったのだが、ひょっとして彼女の大事な人が入院かなにかをしていて、急を告げる連絡だったのかも知れないではないか。
ただ事ではない様子で携帯に向かっているその女性の周りを、迷惑そうな表情の人々が、まるで急流を下って行く魚の群れが岩を避けるごとく通り過ぎるのを見て、僕は自分の考えを再訂正した。
やはり、この人たちは単に自分より足が速いだけではなく急いでいるのだ、普通に歩いていたわけではないのだ、と。
いや、というよりも東京というところは急ぐことが普通で、それが当たり前の場所なのかもしれない。
荒瀬に一本だけ立ち尽くす竿のようなあの女性も、水の流れに乗り切れないこの僕も、きっと違う場所なら決して目立つ存在ではないのだろう。
外国人の友達が東京に来た時、歩いていると後ろからせっつかれてる感じがする、と愚痴るのを聞いたことがある。
しかし、上には上があって、香港では、東京人がのろのろ歩くので後ろから蹴られるらしいという話を思い出し、僕は身震いし絶望した。
体力などつかなくてもいい、血糖値が下がったらせめて人の迷惑にならぬよう、道の隅っこをまたゆっくり歩こうと罪人のように観念し、押し流されるように僕は電車に乗る。まだ不安そうに携帯に耳をあてながら、それでもなんとか人の流れから逃れた女性を車窓から見送り、ふと気がつくと、この時期珍しく、引かない汗が身体にうっすらと滲んでいた。
他の人たちと同じ速度で歩こうとしただけなのに、僕にとってはいい運動になったようなのだ。
嬉しいような、悲しいような…
2014.4.23
雨に想う
糸のような雨を、少しだけファスナーを下げたテントの出入り口からぼんやり見ていた。
平日で雨のキャンプ場には人っ子一人いない。
ひんやりとする風が、目の前の渓流の上を横切ってさらに清冽な香りを含みながら、
鼻だけ外に飛び出ている僕の顔を撫ぜる。
あまりの気持ちよさに、身体が固まる。いや、固まったと勘違いする程弛緩してるのだろう。
時々、思い出したようにきょろきょろと視線だけを移動させてみるが、動いているのは、これまた豊かに匂う雨の筋と、
テントの端やキャンプ用のテーブルから規則正しく滑り落ちる水滴だけだ。
しばらくすると、糸の隙間を縫うように一羽のトンビが川の向こう岸に現れたが、すぐに森の木々に紛れて見えなくなった。
僕は外の湿った空気を思いっきり鼻から吸い込んでから顔を引っ込めると、ゆっくりとテントのファスナーを引き上げた。
その瞬間に、際限なく広がる大自然の空間から、たった数㎡の立ち上がることさえ出来ぬ閉ざされた空間へ、
僕の意識は折りたたまれる。
何冊か持って来ている本の中から、何を読もうかとバッグを探ると、サーっという雨の音に混じって、
時折ぼつっ、ぼつっ、と真上を覆っている大きなくるみの木の枝からテントの屋根にそのしずくが当たる。
本を探す手を止め、その低いくぐもった音を聞いていると、
僕は一層落ち着いてしまい、なんだか、もう何年もこの場所でこうしているような気がしてしまうのだ。
2014/5/22
アウトドアのお店
休日
休日が好きだ。
自分が休めるからじゃない。
休んでる街が好きなのだ。
朝、町を歩いていても
通勤、通学の人たちがいないから、
自分の足の遅さが気にならない。
その代わりに、犬を連れてのんびりと
散歩している人とすれ違う。
「おはようございます」
なんて声をかけあったりする。
人も車も少ないせいだろう、
鳥の声がはっきりと大きく聞こえる。
工場も休みだから空気もおいしい。
街全体があくびをしている。
だれている近所の猫に,眠そうな目で見られながら,路地を抜けると教会のある小さな公園に出た。
めずらしく牧師さんが花に水をあげているけど、
今日は礼拝があるのかな。
秋風を五感で楽しみながら、澄んだ空にかかる大きな十字架を見上げていると、後ろから走ってきた人に追い抜かれた。
でも、いつもみたいに会社に遅刻しそうなのではなく、
ジョギングを楽しんでいるのだ。
車輪のついた、旅行用のケースをなかよく並んで
ころがしているカップルはどこに行くのだろう。
温泉、いや、若いから日程の短い海外旅行かな。
歩道に沿って植えてある色とりどりの花壇と、
季節外れの蝶を目で追いながら、いつもよりさらにゆっくり駅に向かって歩いていくと、だんだん家族連れが増えてきた。
普段着がちょっとさまにならないお父さんはお疲れ気味だが、奥さんと子供たちは生き生きとしている。
みんな遊びに行くのだ。
休みの日は、そんな人たちが周りにいる。
なまけものの僕は、なんだかとてもほっとするのである。