西暦2017年、平成29年が過ぎようとしている。

今年は何一つブログを書いてないことを師走に入ってから気付いて、せめて一つだけでもと、ようやくPCにむかった。

今年一年、グローバル的には、北朝鮮、トランプ、フィリピンのドゥテルテ、中国の習近平、相変わらずのプーチン、安部政権と、自分ファースト真っ盛りだった。

その上、EUはもめにもめ、ヨーロッパにも自国第一の風が吹いた。

でもこれは自分が(自分の国が)お金をたくさん稼いで楽をしたい、という拝金主義、思想が当たり前の世の中では、当然の流れなのかもしれない。

みんなが、そんなに頑張らなくてもいいじゃ~ん、隣が儲けてもいいじゃ~ん、夜は早く寝ればいいじゃ~ん、だから夜は電気なんか使わなくてもいいじゃ~ん、

だから原発なんかいらないじゃ~んとなってくれれば、すこしは世の中変わるのじゃないかな~と思うのだけど、

そういうお前だって毎晩飲むビール代は欲しがるじゃ~ん、金がなきゃ飲めないじゃ~んと言われれば、「そ、そのくらいはいいじゃ~ん(汗)」 とビールを飲んでも意気は上がらないのである。

 

個人的には、今年は食事療法と薬で血糖値も尿酸値も落ち着いていたのだけれど、精神的につらいことが続いて、大丈夫かオレ?的な年だった。

初めて抗不安薬というものも飲んだけど、漢方だったので、個人差がすごく出るらしく2週間くらい服用したが僕にはほとんど効かなかった。

しかし強い向精神薬は怖くて飲めず、一か月、二か月と経過して、不安のかたまりがいよいよ固まってしまうと、どんなに楽しいことがあってもそれはけっして消えることがなく、常にこころの奥にそいつがいるようになった。

そしてそいつは演奏中でさえ僕の精神に忍び寄ってくる。こうなると、寝ているとき以外、一日中不安を抱えることになり、自分の欲求はこの不安が消えてくれることただ一つになってゆく。

つまり金を儲けていいくらしをしたい、とか名声を得たいとかいう世俗的欲求よりも子供の時のような心の平安を取り戻したいという欲求の方が大きくなる。

普通の人でもストレスがあればこういう欲求は多少ともあると思うが、これが異常に大きくなると、鬱の人が自殺をしてしまうように、生きていてはどうしても得られない心の平安を死んで得ようとするのではないだろうか。

だから、よく心身ともに健康な人が、死ぬ気になれば何でもできるのに、といった言葉は当人にとって全く無意味な言葉なのだと思う。

だってその人にとって、死はすでに恐れるものではなく、平安を与えてくれる魅惑的なものだからだ。

しかし、今回のことで人間の欲望とは脆弱な精神的な安定の上ではじめて成立するのだなとわかった。

端的に表れるのは食欲だろう。不安や恐れがあると食欲はわかない。ひどいときはもどしてしまうこともある。

ということは、ひょっとして世界中の人間が払拭できない不安を常にこころに抱えるようになったら、金儲けどころではなくなり、世の中が平和になる?んなわけないだろうなぁ(笑)

でも僕に漢方薬は効かなかったけど、ふと開いた聖書のある言葉を見つけたとき、僕の中の不安や恐れがすーっと小さくなっていくのを感じた。

 

「すべてを主にゆだねて、安心しなさい。神が立ち上がるまで、忍耐して待つのです」。詩編37.7

 

そう、忍耐ができればいつかは必ず希望がやってくる、この言葉に触れて、そう思えたのである。

不安が全く消えたわけではないけど、いつか到達する出口から漏れる光が暗闇の先に見えた気がしたのである。

 

来年早々には不安材料のひとつの区切りができるはずだ。なかなか聖書の言葉通りに安心はできないけれど、失望せず耐えてみようかな。

 

好きなビールでもゆったりと飲みながら。

 

Have A Merry Christmas & Happy New Year !!