昼間ゆっくり出来る日があったので、久しぶりに九段下の昭和館に行くことにした。

靖国神社の真ん前にあって、第二次大戦前から、戦後の昭和40年代くらいまでの映像や資料を展示している施設で、僕はすでに2度程訪れている。

6.7階の特別展示場を見るためには300円かかるが、一階のニュース映画や、図書室は無料で入れる。

初めての時はこの無料コースだけを探訪したが、戦時中の映像や懐かしい昭和の雑誌などで十分楽しめた。

 

靖国神社の戦争博物館(正式には博物館ではないらしい)遊就館が戦闘機や軍艦の模型などの軍国主義の遺物をそのまま展示しているのと比べて、こちらは戦争時や終戦後の庶民の暮らしぶりなどを紹介する資料が多い。

遊就館はきちんと見ると丸1日がかりだけど、こちらはじっくり見て回っても二時間はかからないくらいの規模だ。

いまいちマイナーな施設(失礼!)のためか平日の昼間、暇そうな入り口のお姉さんに入場券を切ってもらいパンフをもらって中に入ると僕の他には人っ子一人いなかった。

薄暗い館内に軍服とモンペ姿の顔のないマネキンが立ってたりして、なんだかお化け屋敷に来たみたいだけど、単独行動が好きな僕にはがら~んとした空間が心地よい。

もともと昭和関係のお店や施設は素通りできない性分だけど、こうやって戦前から戦後まで順を追って見ていくと、戦後の目まぐるしい価値観の変化、復興、経済発展と、やっぱり昭和は特別な時代なんだな、と思う。

音楽や映画、スポーツ、芸能、漫画、その他のもろもろの大衆文化も、熟成される前の、何か熱にうなされながらも放蕩してるような鬱積した若いエネルギーがある。

 

時々飲み屋で見かけるようなまるっこい女性の昭和なポスターを眺めたあと、順路にさからって(なにしろ僕一人なので自由なのである)反対側のちゃぶ台に乗った昭和30年ころの食事(なぜかコロッケ)の模型を前かがみにじっと覗き込んでいたら、むこうから掃除のおじさんがやってきた。

まったく汚れていない床を赤塚不二夫のレレレのおじさんのようにしゃかしゃか掃きながらだんだん近づいてきて、僕の横にぴたっと並んだ。

ん?と思って床を見たがやっぱりごみなどどこにも落ちていない。

ちょっと孤独の楽しみを妨害されたので、逃げるようにその場を離れたのだが、しばらくしてトイレに入った時も僕のすぐ後にまた別のお掃除のおばさんが入ってきたので、ひょっとして僕は不審者と思われて監視されているのだろうかという疑念がわいた。

ちょうど数日前に靖国神社のトイレで爆弾騒ぎがあったばかりだからだ。

実はこの日も遊就館へ行こうか迷ったのだが、不審者と間違われ身体検査とかされたらやだなと思いこちらを選んだのである。

きっと入り口のお姉さんが、あやしい僕を爆弾犯と疑い通報し、お掃除おじさんとおばさんに変装した公安部職員が偵察に来たに違いない。(こういう場所にいるとそんな想像も容易にできるようになる)

すきを見て公安の追跡を振りきり、一階下の展示場に逃げ込みようやく孤独を取り戻した僕は、たった今駆け降りてきた階段横の壁一面の巨大な白黒の写真に気付いた。

昭和14年ころ、戦地にむかう若い軍人を小学校の校庭で町をあげて送別している写真のようだ。

周りに何本も立っているのぼりの勇壮な文字とは裏腹に、そこに写っている人たちの目の奥はどれも悲しげだ。

 

昭和の写真を見るとき僕が必ずすることがある。

年代から逆算して写真が撮られた時の自分、または両親、または祖父母の年齢を確かめるのだ。

そして、その写真の絵が切り取られた瞬間に、その写真に写っている端の先の先のどこかに必ず生きて生活をしていたはずの自分や親族たちを想像してみるのだ。

昭和14年といえば、この小学校の地面を伝っていけば、ここにいる小学生と同じ年頃の父や母が、やがて出会うことなどまったく知らずに同じ地面に生きていたのである。

そして、そんな風に写真を眺めているうちに、遠い昔のような、この古い白黒写真が自分とかかわりを持ち始め、にわかに現実の色を帯びてくるのだ。

 

写真前でしばらくそんな空想に耽ったあと、相変わらず客は入ってこなかったので、例によって順路をめちゃくちゃに歩き回り、見落としもあったかな、と後ろ髪をひかれながら先ほどとは違うお姉さんのいる出口のゲートを通った。

別に出口に人はいらないと思うのだけど、昭和館は客がいない割には(またまた失礼!!)人件費はキチンとかけているのである。

「有難うございました」

と背後からいうお姉さんに

「あやしいからって公安に通報すんじゃねえよ」

と心の中で悪態をつきながら(別のお姉さんだけど)待合室のような踊場に出ると、なんといつのまにか十数名の中学生がたむろしている。

「はーい、君たちはどこ中学ですか~」

引率役のガイドが聞く。

「○○中学で~す!」

一斉に答えるので、今まで静寂の中にいた僕の耳には突き刺さるように響く。

僕はあたふたと喧噪の横を通り抜けエレベーターを待った。

ちょっと時間がずれていたら落ち着いて見学などできなかっただろう。

あの騒音に比べたら、監視役の清掃員など取るに足らぬ、と僕は自分の幸運に満足して空のエレベーターに乗り込み「閉める」のボタンを押す。

ドアがスーッと閉まると中学生たちの声が遠のき、同時に昭和の幕が閉じた。

 

外に出るともう日が暮れていた。

向かい側に実物の靖国神社があるのがなんだか不思議だった。

そしてその巨大な鳥居の前を、平成の平和な国の人々が、なんだかぜんぜん平和じゃないような顔をして早足に行き交っていた。

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