友人が逝った。

 

都内にある中学校に僕より一年早く甲府から転入していて、名古屋から転校した僕と三年生で同じクラスになると、

彼とはすぐ親友になった。イタリアの映画俳優ジュリア―ノジェンマに似ていて、そのうえスポーツ万能。

極真空手もやっていて筋肉隆々。短距離は記録保持者だったと思う。

 

そこで付いたあだ名が「超人」

 

転校当初は不良生徒たちが遠巻きに警戒していたらしいが、徐々にそのおしゃべり好きとひょうきんな性格が知れ渡り、

僕と友人となるころには、すっかりいじられキャラになっていた。

 

一度、彼と二人で甲府まで自転車旅行をした。

「日帰りで行けるから」という彼の言葉を信じたのだが、朝早く東京を出発して、

甲府に着いたときにはもうすっかり夜が更けていた。

しょうがないので甲府の彼の友人宅に泊まらせてもらった。

「超人」の彼には訳ない道中だったのだろうが、僕はへとへとになり彼を責める気力も残っておらず、

それに加え、翌日はクラブでやっていたバスケの審判をしなくてはならなかったので、

すぐ倒れるように寝たのだと思う。(あまりに辛かったからだろうか、帰りの記憶が完全に欠落している)

 

お互い別々の高校に進学して、次第に連絡を取り合わなくなり音信不通となったが、

彼がフェイスブックで僕を見つけ、携帯にメールをくれたのが一年前ほどだろうか。

40年ぶりに渋谷のハチ公前で待ち合わせをしたとき、もしわからなかったらどうしようかと気をもんでいたが、

遠くからすぐに彼だとわかった。

多少太っていたけど、子供っぽいテンポの速い動きとしゃべりは昔のままで、時間の流れが止まったように焼き鳥屋で昔話をした。

もちろん僕は甲府の話を持ち出して笑いながら彼を責めた。

 

それからちょくちょく僕のライブに仕事場の友人を連れて来てくれるようになり、旧交を温めていたところだった。

 

その日は彼は僕のライブに顔を出さず、代わりに携帯の履歴に彼の名前があった。

休憩時間に電話をすると、女性の声で

「○○の携帯です。寛治さんですか?」

と聞かれたので、はい、と答えると、

「昨日主人が心筋梗塞で倒れました。寛治さんは仲良しだったと聞いていたので電話させていただきました。今危篤です」

としっかりとした声で話された。

 

僕は数秒間絶句した。

 

「気をしっかり持ってくださいね」

ようやく言えたのはこの一言だけだったけど、

しっかりしなくてはいけないのは僕の方だと思わせるほど奥様は取り乱さないできちんとされていた。

あまりに突然すぎて、まだ現実感がなかったのだろう。

でも、その声から「ああ、きっといい奥さんなんだろうな」と自然に確信できた。

 

もう一人、中学の時の友人とすぐ連絡を取り合い、お互い祈ろう、と話し合ったが、結局翌日の朝、超人は亡くなった。

 

お通夜は一般客で400人以上いたんじゃないだろうか。

混雑した待合で

「あー、やっぱりずっと人気者だったんだな」

と彼の人望をしのぶ。

 

いまどき珍しく神式の葬儀で、玉ぐしを奉納するのだけど、誰もやり方がわからず、

皆並びながら説明の立て看板を必死で見てるのがなんだか滑稽で、祭壇の大きなあいつの写真がいたずらっぽく笑ってるように見えた。

なにしろ大人数なので、30分ほど会場の外で待ってから、やっと中に入れると思ったら、係員に促され横三列でどんどん進むから、

超人のお母さんとか妹さんとか、昔の顔を確かめるヒマもなく、当然本人の顔も見れなかった。

 

隣の人達が話していたのを盗み聞きしたところによると、その日は普通に出社したものの、

苦しそうだったので、上司がタクシーで帰宅させたのだけど、タクシーを降りて家に着くまでの間に倒れたらしい。

がんばっちゃったんだな。 真面目なあいつらしいな。

混雑して熱気のこもる人ごみの中、僕はえさをもらう金魚のように上を向いてふーっと息をした。

結局、一人の知り合いとも会わず(いてもわからなかったのかも知れない)誰とも口をきかず、逃げるように外に出た。

 

酒が飲みたかった。

 

式ではそんな風であまり感傷もわかなかったけど、斎場からの暗い帰り道、彼との楽しかった交友を思い返していたら突然涙が出た。

すぐコンビニに立ち寄って弔い酒を泣きながら飲んでたら、

「カンジ泣くなよ」

って上から言われた気がしたので中学生の時のように

「バカやろっ」

と言い返した。

 

そういえば、これまで一度だって彼のいらだった顔や暗い顔を見たことがないことに気付く。

いつも笑顔で人に優しかった超人。

それに比べてなんと自己中だった自分。

できれば僕がもっと人間として成長するまで待っていて欲しかった。

彼くらい人間ができるまで待っていて欲しかった。

そうすれば何か恩返しが出来たかも知れないのに。

 

「やっぱりお前は超人だったよ」

 

いつもより大きな500mlの缶ビールを二本、一気に飲み干した。

 

翌日は本葬の日。雲一つない秋晴れだ。

本当にひたすら明るかった超人にふさわしい旅立ちの日だ。

涙は彼には似合わない。笑顔で明るく送ろう。

 

「今度はいつになるかわからないけど、再会を楽しみにしてるよ。その時は約束していたキャンプに一緒に行こうな!

じゃ、またな超人!お前の好きだった尾崎紀世彦の曲でおわかれだ」

 

「また逢う日まで!」

 

命日2015/10/11