今日は痛風の薬をもらいに近所のクリニックに来ている。
糖尿の方は食事管理で何とかなっているのだが、痛風は薬をやめるとほぼ二カ月で発作が出る。二回ほど医師に頼んで薬を中断したのだが、両方ともほぼ同じ結果であった。
痛風は発作を防ぐのも大事だが、その他にも高血糖と高尿酸はともに腎臓のろ過膜を傷つけるので、食事で血糖値をコントロールできている糖尿病はともかく、食事療法が難しい痛風の方は薬が欠かせないのだ。腎臓を患って透析などごめんこうむる。
今回は診察はせず、薬だけくださいと言って待合室で待っているのだが、週末前なので待合室は満員で、しかも暖房が効きすぎていて、外は冷たい雨が降っている11月だというのに額から汗が流れ落ちた。
待合室に置いてある何冊かの週刊文春は全て他の人たちに取られ、仕方なく週刊新潮を手に取る。
特に意味はない、文春の方に好きな作家がいるだけのことだ。
正面の大きなテレビ画面には野生のシロクマ親子のビデオが流れている。
一番前の席に座っている、ここの待合室では普段あまり見かけないサラリーマン風の中年男性が一人熱心に見ているほかは、だいたい高齢者かそれに準ずる人たちで、シロクマに特に興味はないようだ。
少しずつ間をおいて名前を呼ばれた人が次々と診察室に入っていく。
実は、僕はこの待合室の時間がなぜか好きなのだ。
やることははっきりしているから、それまではボーッとしててください、みたいな時間が好きだ。
他の場所でボーッとしていたら、何ボーッとしてんの他にやること無いの?とか、暇ならなんか手伝って、とか、あらまボケちゃったの、とか、いろいろ言われるけど、ここでは何も言われない。
ただむやみに時間を潰しているのではない、自分にはれっきとした理由があってこの場所でボーッとしているのだ、そう、ちゃんと理由があるのだ、と胸を張ってボーっとしていられる。そして、ここはむしろボーッとしていなければいけない場所なのだ。
おもむろに野良仕事をはじめたり、卓球の練習をしたり、ボランティアで、私に何か出来ることはありませんか、などとまわりの人に聞いたりしたらダメな場所なのである。
何もしないでボーッとするのが必須条件なのである。
だから今、自分はやるべきことを粛々と行っているということになる。
それに好きなだけボーッとしていられるわけではない、というのもいいのかも知れない。際限なくボーッとしている、というのでは認知症のようで哀しい。
しかし心配しなくても、ここでは時間が来れば自分は薬を受け取るという仕事を立派に果たし、日常に戻って行ける。
それに待合室はボーっとできるうえに、周りの人はみんな病気というのも何かホッとする。小さいクリニックなので見るからに大変そうな重症患者がいないのもよい。だからと言っていきなり立ち上がってラジオ体操を始め、あなたもどうですか、なんて聞いてくる人もいない。
安心してボーっとしていられる。
今、目の前のディスプレイで子熊が雪面を転がり落ちて行った。
先ほどから、ボーッとすることには慣れていないサラリーマンが、親はいったい何をしているんだ、と言わんばかりに身を乗り出した。
彼は身なりもキチンとしていて、きっと責任感もキチンとあって、仕事もキチンとできる優秀な人なんだろうな、僕なんかとは違うんだろうな、と僕は少しひがんだ斜め目でキチンと男を眺めると、でもきっとこの人は会社でもボーッとしたことなんか無いんだろうなぁ、と今度は無理矢理憐みの情をかけて、僕は少しみだれたペースをもとに戻す。
周りを見渡すと、年齢が上がるにしたがって、皆キチンとボーッとしているようだ。
平日のお昼過ぎでは高齢者が多くて当然といえば当然なのだが、近年昼間の時間帯にバスに乗ると、老人ホームの専用バスかと思うくらい、お年寄りばかりなのに驚く。
まるで、SFに出てくる老人の星にでも来てしまったようなのだ。
と、ここまで書いて、自分もあと1ヶ月経たぬうちに還暦を迎えるのだと気付いた。
自分が高齢者と呼ばれる日が目前に迫っているのだが、そういう人たちと同じ部類に入るということが自分には全然ピンとこない。
それとも無意識に老いを拒絶しているのだろうか。
皆いつごろから自分を高齢者だと認め、あきらめ始めるのだろう。
体がいうことをきかなくなったとか、新しいことをまったく覚えられなくなったとか、意欲がなくなったとか、何かしらのきっかけがいるのかもしれない。
まあ、しょうが無い。自分だけいやだと言ってもみな公平に年をとっていくのだから。
気分を取り直してボーっとしよう。
さて、次は何の本読もうかな。
とりあえず暑いから上着でも脱ごうかな。
「吉原さ〜〜ん!」
あっ、もう呼ばれちゃった(汗)
もう少しボーッとしてたかったのに、いろいろ考えちゃってボーっとできなかった(涙)
仕方なく僕は、病人のように弱々しく返事をすると、ヨロヨロと老人のように立ち上がって会計窓口に向かう。