僕は早く歩くのが嫌いだ。焦って歩くのがいやだから、用事がある時はかなり余裕を持って家を出る。
ぼんやりと考え事をしながら時々風景や道端の植物などを見てゆっくりと歩を進めるのだが、平日の朝は、僕のまわりをたくさんの人が同じ方向へ早足で一生懸命に歩いていく。
皆駅を目指しているのだ。
次から次へと自分を追い抜いて行く通勤、通学の人たちの遠ざかる背中を見ながら僕は、

「みんな時間がないんだな、もっと早く起きて、余裕を持って家を出ればいいのに」

と、上から目線で常々考えていた。ところが、最近かかりつけの医者に、糖尿病を発症していると宣告されてしまい、事情が変わった。
運動しなさいと言われ、ほとんど何もスポーツをしない僕は、せめて歩くのを早くしてみようと思ったのである。
しかし、早く歩いてみて驚いた。自分ではがんばって早足で歩いているつもりでも、今までと同じように次々と後ろから追い抜かされてしまうのである。
ひどい時は年配のご婦人までが追い抜いて行く。
今まで自分は、時間に追われて早く歩く人たちを憐れみ、優越感に浸っていたのだが、それは大きな思い違いで、実は単に自分の運動能力が劣ってしまっているだけではないかと疑い始めた。
そう、周りの人たちは別に、焦って早く歩いているわけじゃない、自分が異常に遅いのだと、気付いてしまったのだ。
実際周りの人たちと同じ速度で歩くのは、僕にとって、競歩をしているようなもので、すぐに息が上がる。やはり体力がかなり落ちているようだ。
運動代わりの早歩きを試す前は、駅でもエスカレーターは使わず、階段を二段跳びでもしてやろうかともくろんでいたのだが、実際やってみるとそんな余裕は全くない。
風景も植物も眺める余裕もなくようやく駅に着くと、エスカレタ―に乗っていても、その恩恵にあずかろうとせずに自分の右側を次々上って行く人々を、僕は手すりに寄りかかりながらぐったりと眺めていた。
その時、突然僕の数メートル先でエスカレーターを降りた30代くらいの女性が立ち止まり携帯を耳にあてた。
真剣な顔つきだ。
すぐ後ろを歩いていたサラリーマン風の男性が、急に立ち止まった女性に行く手を阻まれ、「何やってんだよ」と、すごい形相をして彼女を睨みつけながら横をすり抜けていく。
確かにその女性は脇に移動してから携帯を取ればよかったのだが、ひょっとして彼女の大事な人が入院をしていて、急を告げる連絡だったのかも知れないではないか。
ただ事ではない様子で携帯に向かっているその女性の周りを、迷惑そうな表情の人々が、まるで急流を下って行く魚の群れが岩を避けるごとく通り過ぎるのを見て、僕は自分の考えを再訂正した。
やはり、この人たちは単に自分より足が速いだけではなく急いでいるのだ、と。
いや、というよりも東京というところは急ぐことが当たり前の場所なのかもしれない。
荒瀬に一本だけ立ち尽くす竿のようなあの女性も、水の流れに乗り切れないこの僕も、きっと違う場所なら決して目立つ存在ではないのだろう。
外国人の友達が東京に来た時、後ろからせっつかれてる感じがする、と愚痴るのを聞いたことがある。しかし、上には上があって、香港では、東京人がのろのろして後ろから蹴られるらしいという話を思い出し、僕は身震いし絶望した。
体力などつかなくてもいい、血糖値が下がったらせめて人の迷惑にならぬよう、道の隅っこをまたゆっくり歩こうと、まだ不安そうに携帯を耳に当てている女性を気にしつつ、僕は押し流されるように電車に乗る。
気がつくと、この時期珍しく、引かない汗が身体にうっすらと滲んでいた。
他の人たちと同じ速度で歩こうとしただけなのに、僕にとってはいい運動になったようだ。
嬉しいような、悲しいような…

26.4.23